「子ども達の問題の背景には必ず奪われたものがあることを絶対忘れてはいけない」:アフターケア相談所ゆずりは所長・高橋亜美さんが語る「どんな家庭に生まれ育ったとしても生きられてよかったと思える社会を目指して」

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誰もが慈しまれるべき「子ども時代」に「貧困状態で育つ」ということは、どういうことなのでしょうか?
子どもの相対的貧困率が約16%、実に6人に1人が貧困という日本の状況。特にその「不利さ」が表出するのは「社会的養護」と呼ばれる家庭以外で育つ子どもに顕著です。児童養護施設などで育つ彼らは、十分な教育や社会訓練を経ぬまま世間に放り出され、抱えた困難さを大人になってもそのままひきずりながら苦しんでいることが多いのです。

そんな社会的養護で育つ子ども達に対するケアの重要性をいち早く見抜き「アフターケア相談所ゆずりは」を立ち上げられたのが、同所長・高橋亜美さんです。
他の支援団体がその問題に対して後手に回る中、どうして高橋さんはいち早く取り組むことが出来たのでしょうか? そして児童福祉に対する独自の目線は、どうやって培われたのか?
ロングインタビューをお届けします!

[aside type=”normal”]高橋亜美(たかはしあみ)さんプロフィール
1973年生まれ。日本社会事業大学社会福祉学部卒業。自立援助ホームのスタッフを経て、2011年よりアフターケア相談所ゆずりはの所長に就任。著書に『愛されなかった私たちが愛を知るまで―傷ついた子ども時代を乗り越え生きる若者たち』(かもがわ出版 2013年)『子どもの未来をあきらめない 施設で育った子どもの自立支援』(明石書店 2015年)[/aside]

父からの暴力に晒された2年間

── 高橋さんは自分自身で、ご自身のことを「何者」なのだとお考えですか? 今まで同じ質問を複数の方に尋ねさせていただいて、職業を答えられる方とアイデンティティを答えられる方に大別されるのですが。

高橋:考えたことがないですね。職業としては社会的養護の施設を退所した方々の支援に携わらせてもらっている者で、それは確実に自分の一部になっていると思いますし、いつも感謝して仕事をさせてもらっていますが、でもそれが私の全てではありません。プライベートも大切にしているし、自分の家族もいる。

私は福祉系の仕事で美徳とされる「自分の全てを捧げる」という感じにあまり共感できません。「仕事」の部分では全力で取り組むけれど、きちんと休むし、プライベートも大事にする。だからこそこの仕事を継続できていると思っています。

こういう仕事をしていると「高橋さんはすごくいい人!」とか、「マザーテレサみたいな……」とみられることがあるのですけれど、それは大きな誤解です(笑)。「仕事として携わらせてもらっている」というところがすごく大事だと思っています。

── どういうお子さんだったのですか?

高橋:なんでも「はい、はい」と言うことを聞く従順な子どもでは全然なかったです。集団行動は大嫌いでした。納得いかないことにはすぐ反発するし。中学校や高校も半分行って半分遊んいるような、友達と街でお茶を飲んだり、街にたくさんある映画館で映画三昧したり、生意気にも「外でお茶して映画を見て」というような日々を過ごしていました。

いわゆる「不良」や「ヤンキー」タイプとはまた違いました。奔放で規制されるのが嫌いだったけど、学校や、あるいは一歩外に出て仲間たちとワイワイやりながらいろんなことを語り合うことが大好きでしたね。ただ、先生からは「(不良やヤンキーより)お前の方がもっとタチが悪い」と言われていました。

親からは特に「勉強しろ」と言われたことはなかったですけれど、それでも親とのことで忘れられない経験があります。私の父は昔卓球をやっていて、「己の夢を託す」形で、私も小学校4年生の時から強制的に卓球をやらされていたんです。土日はいわゆるスポーツクラブみたいなところで練習させられ、平日も学校が終わって帰宅した夜の7時から10時くらいまで毎日毎日父親に練習をしいられていました。

父は普段は本当に穏やかな人なんだけれど、卓球に関しては人格が変わるところがあって、私が反発する態度をとると殴られたりしました。車で郊外の方まで練習に行く途中口論になった時には、父から「降りろ」と言われて、私もこういう性格だから「じゃあ、降りるわ」と降りてしまうと、そのまま本当に娘を置いて車は走って帰ってしまう。そこから私一人で2時間くらいかけて歩いて帰ると、待ち構えていた父にまた殴られる。そんな暗黒時代が小学4年から6年生まで続き、6年生の夏に父に直談判しました。「もう卓球はやらない」と伝えて、父は私に卓球を無理にやらせることをあきらめました。

ただ、その時の「暴力に支配され、抗いたくても抗えない」という経験は今の自分の仕事に生きていると思います。私の受けた暴力はたった2年足らずで「凄まじい暴力」とまではいかない。今まで出会ってきた虐待を受けた子どもたちはもっと日常的に、ひどい暴力にさらされていたのですから。それでも子ども時代に暴力によって服従させられることが子どもの心身に深刻な影響を及ぼすということを身をもって理解できたことは「よかった」と思っています。今になってさえ、自分が受けた暴力の辛さが蘇ってくる時があるので。

「まあいいや」で進学した福祉の東大

── 高橋さんが児童福祉の世界に進もうとしたきっかけはどんなものだったのですか?

高橋:ひとつには、少年犯罪に興味があったということがあります。私自身が父に暴力をふるわれていたときは父親を殺したい、自分も死にたいと毎日思っていたので、罪を犯す子どもたち背景や心理を学べたらとは思っていました。ただ、一方で、デザインや美術の方向にいきたかったです。だから大学進学の時、芸術系の大学も受けたのですが、全部落ちてしまい、唯一合格した大学が日本社会事業大学でした。
そんな理由で日本社会事業大学に進学したのですが、ここは昔から厚労省から委託をうけて運営している大学で、福祉学部しかなく「福祉の東大」と言われていたくらいの学校なんです。全国から本当に福祉をやりたい選りすぐりの人が集まってくる学校だから、「たまたま受かった」みたいな態度の自分がまた浮くんですよね。

たとえば、コミュニケーションを学ぶ授業があるのですけれど、それを教えている教授と、私との間でコミュニケーションが取れていないのに、「なぜ、この人が私にコミュニケーションを教えられるんだろう?」「今、私たちコミュニケーション取れてないじゃん」と、そういうことを思うと、実際に言っちゃうんです。ひねくれた学生ですよね。当然多くの教授たちからは疎ましがられる学生だったと思います。だいたい成績は常に落ちこぼれをキープしていました。

それで結局、大学は一年停学になっているんです、私。

── えっ! いったい何をやったんですか?

高橋:つまらない嘘をついたのが発覚してしまい。福祉職を目指す人間にあるまじき行為とみなされ、退学になる一歩手前まで行きました。
それでも助けてくれる教授が何人かおられて、その先生たちのおかげで退学は免れました。
「キャンパスに一歩も足を踏み入れちゃいけない」という誓約書を書かされ、1年停学ということになりました。

── それで一年間の停学中は何をされていたんですか?

高橋:外国旅行をしたり、アルバイトしたり、映画をたくさん観たり、楽しくやっていましたね。学生時代の私を知っている教授達は、「なんでお前が福祉職に就いてんだ?」と思っていると思います。学生時代お世話になった西澤先生とも去年ハートネットTVに、一緒に出演させていただいたときは、「お前がなぁ……」と。こちらも「すんません」と。お互いに苦笑いみたいな感じでした。(笑)

あすなろ荘で出会った「靴下」の衝撃

── そんな福祉の大学が嫌いだった高橋さんが児童福祉の道に引き寄せられる転換点は一体何だったのでしょうか?

高橋:大学4年生の時に「自立援助ホーム あすなろ荘」へ実習に行くことになったんですね。それも本来3年生で行くものなのですが、停学になっていたから4年生時になり、普通は実習先を自分の希望で選択できるのですが、私の場合は停学もあったりでそれが叶いませんでした。当時指導していただいたのが湯澤直美先生(現・立教大学教授)だったのですが、その湯澤先生が私の実習を受け入れてくれる唯一の施設『あすなろ荘』をコーディネートしてくださいました。「自立援助ホームってよくわからないけれど、何でもいいや」と思って実習に向かったんです。

ただ、実際行ってみたら衝撃でした。「あすなろ荘」では虐待などの理由で家で生活できない15歳から20歳までの子どもが暮らしているのですが、彼らはそこで生活をしながら、外で働いているんですね。寮費も払い、自己負担の医療費も払いながら、15・6歳の子どもが全部自分のことをやっている。この子たちは自分の意思とは関係なく生きるために働いている。好きでここにいたり仕事をしたりしている子なんかひとりもいない。「ここしか生きる場所がないから」ここで生活している。そんな子どもたちに直接出会って、自分がどれだけ甘く恵まれているのかということに気づかされました。

もうひとつ驚いたことが、当時「あすなろ荘」で働いていたホーム長やスタッフの人たちがすごく魅力的な人たちだったことです。「福祉で働いている人は真面目、堅物」という先入観があったのですが、「あすなろ荘」の人たちは生き生きとしていました。年齢や性別や立場で人を決めつけずに「あなたはどう思っているの?」と思いを引き出してくれて、答えに対しても率直に「自分はこう思う」と伝えてくれる。人を尊重して、ねぎらいもあれば「これはだめだよ」というべきところはスパっというなど、一挙手一投足がはっとさせられる。自分の意見をちゃんと持っていて、上からじゃなくて「僕はこう思うよ」「私はこう思うよ」と対等に伝えてくれることがとても新鮮でした。

また、実習中に出会った女の子のことも忘れられません。彼女は当時16歳で父子家庭で育ち、ずっと実の兄から暴力をふるわれていました。家はゴミ屋敷で、お風呂も入れず、毎日同じ格好をしていて、家で食べるものはお菓子を食べられたらよい方という生活を小学五年生まで強いられていて、それでやっと養護施設に保護されたという子でした。そこから高校受験に失敗して「あすなろ荘」にきて、衣類店で働いていたんですね。

その彼女に、「施設に保護されて、はじめて施設で生活することになった時に、何が一番嬉しかったのか?」という質問項目があったんです。それを見た時私は「もう暴力をふるわれない」とか「毎日温かいごはんが食べられる」とか、そういう答えを予想していたんです。

でも、実際に「○○○ちゃん、一番嬉しかったこと何だった?」と聞いたら「○○○はね、靴下だよ」「え? 靴下?」「うん!靴下靴下!」って全然ピンとこなかったんですけれど、よく聞いたら彼女は保護される今まで靴下を履いたことが一度もなくて、保護された時に施設の職員がガサガサになっていた足にクリームを塗って「足、すごく冷たくなっているね」と靴下を履かしてくれたことが一番嬉しかったそうなんです。

それを聞いた時、私はそれまで当たり前に思っていた「靴下をはく」「歯を磨く」「お風呂に入る」等、あたりまえに私たちが出来ていることは、結局そう出来るように周囲の大人に育んで貰ってきたから出来るのだということに気づかされました。彼女の「靴下」といことばで、子どもが生きていく上で、大切に子どもの育ちを育んでくれる人の存在がいるということがどれだけ大事か。そのことをずっと考えるようになりました。

子ども達は誰も好きで汚い格好をしていないし、好きで暴力をふるったり暴れたりはしない。その背景には必ず「奪われたもの」があり、「大切にしてもらえなかった」「はぐくまれてこなかった」結果だということ、それを絶対忘れてはいけない。また、関わる大人は表面的なことだけを見て「なんでこれが出来ないんだ」と怒ったり、子どもの人格を決めつけてはいけない。子どもの背景を想像した上で寄り添い、時には叱ったり対峙したりする。そういうことに気づかせてくれたあすなろ荘、素晴らしいスタッフ、その女の子との出会いは、本当に私の転換点になりました。

── そんな、それこそ人生観の変わるような半年間の実習を終えたのにも関わらず、卒業後そのまま福祉の世界に飛び込むわけではなかったことが面白いです。

高橋:はい。実習を終えたあと「あすなろ荘」の当時のホーム長から「この仕事はあなたに向いていると思うから、ウチで働かないか?」と誘われたのですが「素晴らしい仕事だけれど、自分の仕事にするのは無理です」とお断りしました。

── それは何故だったのでしょうか?

高橋:「自分はその器じゃない」という思いがありました。仕事の中身の大変さも見ているし、感動的なことの連続でもない。自分が今仕事としてやれるかと問われたら、とてもそんな適正は持っていないと思ったので。卒業後は一度故郷の岐阜に帰りました。

岐阜に戻って、またすぐ東京に戻ってきたんですけれど、カフェで働いたり知り合いのお店に趣味で作ったお菓子を置いて売らせてもらったり、お金が貯まったら海外旅行にいくなどして自由気ままに楽しんで暮らしていました。ただ、そういう生活を満喫しつつも「あすなろ荘」や靴下の女の子とは手紙などで交信はあり、テレビで少年犯罪のニュースが流れるたびコメンテーターの無理解なコメントに怒ったり、苛立ったりしていました。児童福祉の問題を横目で気にしつつすごしていましたね。

── そして卒業から5年後の29歳の時「あすなろ荘」で働き始めます。

高橋:満を持してという感じで「私、あすなろ荘でやりたいです」と言って働かせてもらえることになりました。調子いいんですけれど。でも、児童福祉の仕事をするなら「あすなろ荘」しかないという思いはありましたし、このスタッフの下で育ててもらいたいという思いがありましたから。

「もっと早い段階で相談に来てもらうにはどうしたら?」

── そうして「あすなろ荘」にて働き始めた高橋さんですが、当時はどのような一日をすごされていたのでしょうか?

高橋:宿直がある時の主な一日としては、14時ごろに「あすなろ荘」へ出勤します。その時間子どもたちはみんな仕事に行っているから、自分は買い物をして夕食の準備をし、ばらばらに帰ってくる子どもたちを順次「お帰り」と出迎え、ごはんを食べながら話を聞き、寝るまでの間いろいろやりとりをして無事その子が眠るまで見守る。

夜は夜で、眠れない子が宿直室にやってきたりするので、個別にいろいろ話をきいたり、次の日の早朝から現場に出る子どもに朝ごはんを作って見送って、というような寮母的な仕事でした。そんな風に衣食住を共にする中で、社会で生きていくために大事な知識を伝えたり、虐待によって背負った心の傷に寄り添ったり、みんないずれ「あすなろ荘」を20歳には出るので、退所したあと一人暮らしの生活維持が出来るようにサポートしていく役割でした。

自立援助ホームに来る子達は、どこにも自分の生きる場所がなかった子なんです。たとえば少年院を出た子、養護施設を「学校辞めた」とか「進学出来なかった」などの理由で出されてしまう子など、それぞれに大変な事情を抱えさせられた子たちがやってくる。以前にいた施設では手の着けられない子だったというような子も少なくありませんでした。ただ、みんな「あすなろ荘」に来てからも暴れるかというと全然そうじゃないんですよね。その子たちが「ここでは大事にされている」と思えるようになれば、わざわざキレる必要も暴れる必要もない。

児童相談所や、以前にいた施設での情報なども大切にしつつ、それだけに縛られない視点が大切だと思います。「自分が信頼されるスタッフになるためにどんな振る舞いをしたらよいか」と目の前にいる生身の子どもを前にして考えることの大事さをあすなろで学びました。

── そういった日々の中で高橋さんはアフターケアの重要性に気づかれます。

高橋:「あすなろ荘」では9年間、ケアワーカーとして誇りをもって仕事に取り組んできて、共に生活する中で傷ついた子どもたちの支援を私たちなりに精一杯やってきました。けれど、ここで回復して自立し「がんばってね」と一人暮らしを見送った退所者の子ども達の中には、自殺して亡くなった子もいるし、刑務所に服役している子もいる。望まない形で性産業についたり、妊娠したり、ホームレスになったりしている子もいる。在籍中は心を尽くして支援してきた子ども達が退所後に困難な状況に陥っている姿が見えてきました。

そして、相談に来てくれた退所した子どもたちも、すごく大変な状況になってやっと相談に来れるという感じでした。もう少しでも早くに相談に来てもらえたら、望まない出産をしなくてすんだのに、ホームレスにならなくてもすんだのに、または自殺という選択をしなくても済んだのにと思い「もっと早い段階で相談に来てもらえるようにするためにはどうしたらよいか?」ということをまず「あすなろ荘」の中で考え取り組むようになりました。

そんな経緯があって、まず「あすなろ荘」の中で、「あすなろ荘」の退所者を対象にしたアフターケア専門のスタッフとして取組みはじめました。まずは在籍中の子ども達に「退所後、もし困ったら全然遠慮しないですぐ相談に来て!」とか「退所後のサポートをすることも私たちの仕事だから、手伝わせてね!」ということを延々と伝え続ける。そして実際に相談に来てくれた退所者に「相談に来てくれてありがとう」と伝え、その姿を在籍中の子どもにも見せる。それらを積極的におこなうようにしたら、だんだん皆が早期に相談してくれるようになりました。「相談していいんだ」と思ってもらうために。

そうしたら今度は「あすなろ荘」を退所した子どもの友達経由で、他の養護施設退所者や家出した子どもたちから「相談に乗ってほしい」というケースが来るようになったんです。そうなってみると、結局「あすなろ荘」以外の退所者の子どもも、みんな困っていることに気づいたんですね。児童福祉法的には一応、施設退所者のサポートはその施設が責任を負うとなっていますが、実際「退所者がどうなっているのか解らない。連絡もつかない」という施設がまだまだ多いです。一方、ホームレスの支援団体や婦人保護施設などからは「施設出た子がこっちに相談に来るんだよ」と以前から言われている。だったら今度は「あすなろ荘」以外のいろいろな施設を出た子らが早い段階で「助けて」と言える場所を作らなくてはならないのではないかと考えたんです。

それで2011年4月に東京都の養護施設・自立援助ホーム・里親家庭を出た方の相談所として「アフターケア相談所ゆずりは」を立ち上げました。

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移転したばかりの「ゆずりは」

── スタートから4年。現在までさまざまな方のご相談を受けてきたと思うのですが、高橋さんが今まで特に印象に残ったケースがありましたら教えてください。

高橋:現在「ゆずりは」の相談スタイルは、基本的にアウトリーチ型です。こちらからどんどん困っている人のところに出向いて、その地域に行くということを行っています。そのスタイルのきっかけになったのが、「ゆずりは」開設の1・2ヶ月後に来た女性からの相談なんです。彼女は養護施設出身の20代の子で、結婚してDVを受けており、離婚したいけれどどういう手続きをとっていいのかわからないという電話でした。地域の女性相談所にも相談したけれど「ウチでは対応できない」と言われたと。

「今日にでも相談したいのですけれど、どうしたらよいですか? 今から行ってもいいですか?」と尋ねられたので、私は「どうぞ来てください」とお答えしたんです。「場所はわかりますか? 私は(ゆずりはの事務所で)ずっと待っているから、いつでも大丈夫」と。ところが「じゃあ行きます」と答えがあったので待っていたのですが、待てど暮らせど来なかったんです。3・4時間後、彼女が自転車に乗って現れた時、思わず「え?」となってしまいました。事情を聞けば神奈川方面から自転車で来たのだと。

その時「しまった」と思いました。電話ではじめに「経済的DVを受けている」と聞いた時、こちらから「交通費は大丈夫ですか?」と尋ねればよかったんです。彼女は自分からは、ここまで来る片道数百円の交通費を持っていない、とは言えなかった。その子が汗だくで「遅くなってすいません」と謝ってくれるのを見て「こんなバカみたいにずっと待っているのではなく、自分が行けばよかった。自分が行くといえばよかった。なんでその案がなかったんだろう」と後悔したんです。「何百円もない」「交通費がない」という事情をくんで「そんな心配はしなくて大丈夫ですよ」ということをこちらから率先して言わないといけなかったと。

その一件があってからは必ず相談を受けたら最初に「こちらからも行けますよ」「相談料は一切かからないですよ」「何でも話してくれて大丈夫ですよ」とお伝えすることにしています。きちんとお話をききつつ、私たちに出来ることと、出来ないことの線引きをしっかりしていくことも大切だと思っています。

── 高橋さんが児童福祉に関わるようになって13年。長期に渡って支援の第一線で活動されているそのモチベーションは何なのでしょうか?

高橋:勇気をもって相談してくださった方に「この人に相談してよかった」とか「この場所があってよかった」と思ってほしいという気持ちは常にあります。私たちに出来ることなんてその子の人生にとってほんの一部の支えにしかなりません。相談してくださる方は今までいろいろな大人や社会に裏切られてきて、だから「こいつは信用できるか?」と値踏みしたり試したりもする。私も「糞ババア」とか「死ね」とか罵倒されたこともあるけれど、それでも「出会えてよかった」と思ってもらえる大人になりたいし、実際にそう感謝してもらえることが大きな励みになっています。

「13年間やってきたから、もうわかっているよ」とそのキャリアにあぐらをかきたくはないんですね。いつまでもまっさらな気持ちで、真摯な気持ちでたいです。相談してくださる方に色んなことを学ぶつもりでお話を聴かせてもらっています。誠実さや謙虚さを忘れないことは常に心がけているかな。

ゆずりはの新たな挑戦! 誰もが安心して働ける場所を作りたい!

── 「アフターケア相談所ゆずりは」のスタートから4年経ちましたが、この間事業内容に変化はありましたか?

高橋:基本はアフターケア、施設を出た方が困難な状況、とてもひとりでは解決出来ない状況に陥っている時一緒に問題を解決していく。その一番の基軸は変わっていません。そこにそって、それぞれの困難な状況のニーズにあった事業を展開してきたのですが、特に今度「働きたくても働けないでいる」子どもたちを対象にした就労支援事業を新たに始める予定です。

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たとえば仕事を失って、家もないし親も頼れなくてホームレスになったしまった子が、ゆずりはに相談に来て、生活保護を受けてアパート生活が出来るようになる。けれど、そんな風に一応生活出来るようになったとしても、彼らの中で抱えている「自分は社会のお荷物だ」「自分の生きている意味や価値はどこにもない」という意識は消えません。「本当は自分も働きたい」「社会の役に立って認められたい」「ありがとうと言われたい」という思いはすごく持っているんですね。

でも、じゃあパッとアルバイトに行けるかというと、それはなかなか難しい。失敗も多いからうまく就労に乗れない。「外でバイトをすればいい」と無責任に煽られた挙げ句失敗して傷ついた子をもう散々見てきたので、そういう子が安心して、失敗したり立ち止まったりしながら働ける場所を作ることが出来ればと思い、今回「ゆずりは」で工房を作りたいとクラウドファンディング「児童養護施設等退所者の方の働くことを支援する工房を開設したい」をスタートしました。

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ここで一番初めの就労ステップが出来る、安心して失敗も出来るし働く意義も見いだしていけるような場所です。実はずっと前から「やりたいな」とは思っていたのですが「お金もない」「担当者もいない」「今の支援で手一杯」と言って先延ばしになっていたんですね。でも、結局「ゆずりは」を始めた時と同じく「ない、ない」と言っているだけでは、ずっと「ない」のまんまです。アフターケアに関してだって、ずっと社会的養護の業界自体が「そんなものはできない」「施設出身の子だから困難になるのはしょうがない」と放置してきたところがあります。だから、それを少しでも「ある」に変えていくために、タイミングを逃さず多少無理をしても「やっちゃえ!」と前に進むことが大事だと思いました。

── 「NPO法人豊島WAKUWAKUネットワーク」の栗林知絵子さんにインタビューさせていただいた時も同じことをお伺いしているのですが、子どもの相対的貧困率が16.1%で非常に深刻なのは明白であり、おそらく大多数の人に聞いたとしても「それは問題だ!」と共感を得ることは出来ると思います。ですが、実際に解決へ向けての動きはあまりにも遅い状況です。現場の最前線に立ってらっしゃる高橋さんの立場から、それは何故だとお考えですか?

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高橋:どこかでやっぱり「我が事」じゃないのだろうな、と思います。実感として貧困問題は身近ではない、一歩も二歩も踏み込まないと見えづらいのではないかと。統計上「6人に1人」が貧困状態の子どものはずなのだけれど、じゃあその「6人に1人」が見てパッとわかるかというとわからないと思います。非常に潜在化していて、たとえば寝屋川で男の子と女の子が殺された事件や、川崎リンチ事件の男の子のように事件化しないと見えてこない。「あるようでない」という曖昧にみえる状況が、社会の動きを鈍くしているのだと思います。

それと単純に、やっぱり一般的には「びっくりするほど子どもの貧困問題を知らない」という現状はありますね。たとえばプライベートで自分の子どもの学校の先生や親御さん達と話しても「子どもの6人に1人が貧困状態」なんて皆さんピンとこない感じです。見えづらいものを共有するのはやはり難しいし、共有して共感して一緒に声にしてして変えていこう、まで至るのはさらに難しい。

だから最近は、小学校や中学校からご依頼された講演も出来る限り受けさせていただいています。以前は「何も知らないPTAや学校関係者に話すのは難しい」と思っていたのですが。問題を知らない人達にこそ「どう知ってもらうか」を工夫していくことも自分のひとつの役割だな、と最近は考えています。

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高橋亜美さん。長い時間真摯にインタビューに応じていただきました

今度のクラウドファンディング「児童養護施設等退所者の方の働くことを支援する工房を開設したい」のプロジェクトも、工房で作ったジャムを販売する時に「児童虐待や子どもの貧困」に関するパンフレット的なものをつける予定です。上から目線の教育的なものでなく、ジャムを手に取った人が何気なく「何だろう?」と興味を持ってもらえるような発信の仕方をしたいな、と思っています。今の社会はみんな自分の子どもで精一杯だけど、本当は、他人の子どもも幸せになることが、自分の子どもの幸せにも繋がるのですけれど。

── ますます活動の幅を広げる高橋さんですが、これからのお仕事の目標などをお聞かせください。

高橋:まずは就労支援事業をしっかりスタートさせていきたいですね。そして、将来的には「アフターケア相談所ゆずりは」をひとつのモデル事業として広めていければと考えています。「子ども食堂」が各地で広がっていくように、貧困に苦しむ子どもや施設退所者が身近なところで安心して相談にいける場所、大切にしてもらえる場所が全国に出来ればいいと思います。

そして発信にも力をいれていきたいです。結局私達がやっていることはアフターケアだから、相談のほとんどは大人になっている方、20代から30代の方の「かつて子どもだった方」への支援が中心です。その方たちが「子ども時代をどう生きられたか」ということが、その人の人生に決定的な影響を及ぼしている現実をいつも見ているわけです。だから私達は、今困っている人達の支援はもちろんだけれども、子どもの時に受けられる福祉や教育を充実させることの重要性を現場から伝えていきたいと考えています。

「どんな家庭に生まれ育ったとしても、この社会で生きられてよかった」と子どもも大人も思える社会を目指していきたいです。[了]

[voice icon=”http://machibarry.jp/wp-content/uploads/2015/08/nui01.jpg” name=”マチバリー” type=”r fb”]初期目標金額達成! プロジェクトをより良いものとするため、引き続き「児童養護施設等退所者の方の働くことを支援する工房を開設したい」を応援下さい!(下記画像クリックからREADYFOR?のページへ)[/voice] yuzuriha0102